敵討の主人公が、念仏者自身なのは、意義がある。現当二世の親の慈愛や、孝養を説く二童敵討その他の仇討物や、狂女物・継母物は皆、今も念仏者の謡ふ唱文の主題だ。かうした物の原型の、村踊りを統一したのが、更に分化して、神能・蔓・修羅・祝言などに、各近づいてゐたのを、能楽が現れて、意識上の事としたのであると思ふ。
三
玉城の現れてから後、その競争者及び、追随者の業蹟に到るまでの観察は、他の方々の研究に任せる。其代り、方々のお残しになつてゐる筈の、琉球演劇――歌劇と言ふ方がふさはしい――の発生を髣髴せしめてゐる村をどりを、考へて見るであらう。
沖縄教育の先輩、名護小学校長島袋源一郎さんが、まだ県視学であつた当時、鉄道開通祝ひの村をどりが、新停車場のある、そちこちの村で行はれた。私は誘はれて、其一つの祝賀場に宛てられた大嶺村の小学校の、焦げつく様な校庭で、朝から八つさがりまで、やまと[#「やまと」に傍線]の旅人として、相伴の見物をした。さうして、今言ふ村をどりには、段々芸尽しといふやうな形で、ある時代の村人の知つた限りの芸が、持ちこまれて、複雑になつて来てゐる事を感じた。だから古くは、
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