になつたのである。
儀来河内《ニライカナイ》・おぼつかぐら[#「おぼつかぐら」に傍線]・なるこてるこ[#「なるこてるこ」に傍線]・まや[#「まや」に傍線]など称する、遥かな国から来臨する神及び伴神は、青年の扮する所であつた。が、次第に、その神に常仕する村の巫女が、神意を聴き、時としては神となると考へる様な、信仰形式の変化も、琉球国の各地の諸事由来記の伝承以前に、既に、行はれはじめた。だから、男が稀に聖役に与る事があつても、神に扮する者は、巫女となり替つた。琉球神道は、早く既に神を失うて、神に仕へる者を、神と仰ぐ様になつてゐたのである。かう言ふ風になると、どうしても、村々の若衆の男神《ヰキイガミ》としての神業《カミワザ》の、全部芸能に傾いて来るのは、当然である。村をどりを以て、巫女のみが神幸をまねび、神あそびを行ふ以前から、伝つた神事芸能だと見るのは、此為である。
この村をどりが、地方的に特殊の発達をする中に、ある間切・ある村のものが、づぬけて芸能価値を発揮する様になつて来る。其には、沖縄の伝承にもある様に、地方的の天才の出現が、あつたに違ひない。さうでなくとも、さうした飛躍者を想像させ
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