福し、又一行の伴神の、かくの如く数多きを喜び誇る言ひ立ての、合理的変化である。かういふ変化が起ると、当然遠来の神が、別に登場せねばならぬ。中頭・国頭の村々では、儀来《ニライ》の大主《ウフヌシ》なる神が、次に現れる事になつてゐる処も、多いやうである。まづ長者の大主の長子親雲上が立つて、扇をあげて招くと、神の国の穀物の種を携へた、儀来の大主が出て、村・家・作物の祝言を述べて去る。
其に次いで、定式として行はれるものは、狂言である。此は、其村々特有の小喜劇である。その後は、をどりになるので、年と場合とによつて、いろ/\の変更はあるが、狂言だけは、正式に固有の狂言を守つてゐる。ひつくるめて言ふと、人事の滑稽な、争闘後の解決を意味するものから、分化したものらしい。此は必しも、能狂言の影響とは見られない。狂言としては、後には、歌舞妓の「物まね狂言づくし」があり、殆並行したものと思はれるものに、壬生狂言がある。南島へも渡つた念仏の、ある分派の芸能にも、狂言はあつたのである。其後が踊りになると、変遷甚しく、段々、曲目に変化があり、都会風や他村のものを模したのが、次第に殖えて行つて、芸づくしの姿をとる事
前へ
次へ
全29ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング