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或人は、此お寝床の事を、先帝の亡き御身体の形だといふが、其はよくない。死人を忌む古代信仰から見ても、よろしくない。猶亦、或人は、此が高御座だといふが、此もよくない。高御座に枕を置いたり、布団をおく筈はない。高御座は、天子様がお立ちになつて、祝詞を申される場所であつて、決してお寝になる場所ではない。此処では、何も、ものを仰せあらせないから、高御座と考へる事は出来ぬ。
古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が、皇位を継承した事になるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、等しく天照大神の御孫で居られる。御身体は御一代毎に変るが、魂は不変である。すめみまの命[#「すめみまの命」に傍線]といふ詞は、決して、天照大神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大神との御関係は、ににぎの尊[#「ににぎの尊」に傍線]も、神武天皇も、今上天皇も同一である。
此重大な復活鎮魂が、毎年繰り返されるので、神今食・新嘗祭にも、褥が設けられたりする事になる。大嘗祭と、同一な様式で設けられる。復活を完全にせられる為である。日本紀の神代の巻を見ると、此布団の事を、真床襲衾《マドコオフスマ》と申して居る。彼のににぎの尊[#「ににぎの尊」に傍線]が天降りせられる時には、此を被つて居られた。此|真床襲衾《マドコオフスマ》こそ、大嘗祭の褥裳を考へるよすが[#「よすが」に傍点]ともなり、皇太子《ヒツギノミコ》の物忌みの生活を考へるよすが[#「よすが」に傍点]ともなる。物忌みの期間中、外の日を避ける為にかぶるものが、真床襲衾である。此を取り除いた時に、完全な天子様となるのである。此は、日本紀の話であるが、此を毎年の行事でいへば、新嘗祭が済んだ後、直に鎮魂祭が行はれ、其がすんで、元旦の四方拝朝賀式が行はれる。だが此は、元は、一夜の中に一続きに行はれたもので、秋祭りの新嘗祭と、冬祭りの鎮魂祭即、真床襲衾から出て来られ、やがて高御座にお昇りなされて、仰せ言を下される。此らの事は元来、一続きに行はれたのであるが、暦法の変化で、分離して行はれる様になつたのである。
日嗣ぎの皇子《ミコ》が、日の皇子(天子様)におなりなされると、天子様としての仰せ言が下る。すると、群臣は天子様に対して、寿言《ヨゴト》を申し上げる。寿言の正確な意味は、齢を祝福申し上げる、といふ処にある。すめみまの[#「
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