子《メヅコ》ぞ。参上《マヰノボ》る八十氏人の 手向《タム》けする懼《カシコ》[#(ノ)]坂《サカ》に、幣《ヌサ》奉《マツ》り、我はぞ退《マカ》る。遠き土佐路を
大崎の神の小浜《ヲハマ》は狭けれど、百舟人《モヽフナビト》も 過ぐと言はなくに
[#ここで字下げ終わり]
此四首は、はじめの二つが近親の者の歌で、後の長短歌各一首が乙麻呂のものと見える様になつてゐる。短歌は長歌の反歌とも見えるが、三首目の「父君に我は愛子《マナゴ》ぞ。母刀自に我は寵《メヅ》子ぞ」と言ふ謡ひ出しは、父母に愛せられて育つた、遠い旅にも出たこともない自分がと言ふつもりと説けばわかるが、後の子とは続かなくなつてゐる。
其にしても、此歌は青年の述懐で、恐らく若売《ワクメ》より年長だつたらうと思はれる此人だから、三十前後でゐて、此歎きを洩すのは、如何に童心を失はぬ万葉人にしてもふさはしくない気がする。父は早く死んでゐる。現在の家なる父母を思ふものとすれば、事実にあはない。母に万葉で「妣」の字を宛てたのは、歿後の父母なる事を示したと言ふ事も出来ようが、唯母と通用したものだらう。そして、唯色々な形の歌を組み入れたゞけと見る方がよ
前へ
次へ
全20ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング