(ノ)]上布留《カミフル》の命」と言ふ文句が世間で乙麻呂の事と伝へられた為に、歴史として確実性を持つ様になつたとも思はれぬではない。二人の配流・赦免の記事なども、史家の主観的な解釈が加へられて居るかも知れぬし、其根柢に、情史的の小説が漢文で書かれたとなれば、続紀に入り込む道筋はわかる。大赦の連名などの中に、合理的な解釈で一人を添へる事も出来るはずである。
[#ここから2字下げ]
石《イソ》[#(ノ)]上布留《カミフル》の命は、嫋女《タワヤメ》の惑《マド》ひによりて、馬じもの縄とりつけ、鹿《シヽ》じもの弓矢|囲《カク》みて、大君の命畏み、天|離《サカ》る鄙辺《ヒナベ》に退《マカ》る。ふるごろも真土《マツチ》の山ゆ帰り来ぬかも(万葉集巻六)
大君の命畏み、さしなみの国にいでます、はしきやし我が夫《セ》の君を、かけまくもゆゝし畏し、住《スミ》[#(ノ)]吉《エ》の現人神《アラヒトガミ》の、舟の舳《ヘ》にうしはき給ひ、着き給はむ島の崎々、より給はむ磯の崎々、荒き波 風に遭はせず、つゝみなく、病あらせず、速《スム》やけく返し給はね。本つ国べに
父君に我は愛子《マナゴ》ぞ。母|刀自《トジ》に我は寵
前へ 次へ
全20ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング