けふと 待つらむものを。見えぬ君かも(同)
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などは恐らく旅行中に死んだ人を悼んで作つた歌らしく見える。此場合「見えぬ」は「見られに行かない」の意である。茅上娘子が隠し妻だから、宅守の家人の心持ちを思ひやつたのだとするのは、こぢつけであらう。
短歌の集団である事は、読ませる事を目的としたものらしく見える。併し、事実に於て、すべての詩形は、短歌にのり越されて来た時代である。長歌に対する反歌と言ふ様な形は、長歌に対して、片哥・旋頭歌・短歌その他が「組み」になる在来の声楽の様式の上に、外国音楽上にある反(或は乱)と言ふ様式との類似を重ねて来て出来たものである。必しも「長・反の組み」が、本式のものではなかつた。長短錯雑して居たのを、次第に整理して「長・反」様式が出来もした。一方、短歌ばかりの「組み歌」も出来た訣である。人麻呂の作と推定すべき日並知《ヒナメシ》[#(ノ)]皇子尊《ミコトノミコト》舎人歌廿三首は、舎人等の合唱に用ゐた一団の「組み」である。調子を改めて治める「反」又は「乱」と言ふ音楽上の様式は、発達しきらないで、日本音楽史では「組み歌」ばかりが全盛になつて行く
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