がら、その時代々々によつて、信仰の中心は、いつでも移動してをりまして、二・三或は一つの仏・菩薩が対象として尊信せられて参りました。釈迦であり、観音であり、或は薬師であり、地蔵であり、さういふ方々が中心として、信じられてゐたのです。これが同時に日本人の信仰の仕方だと思ひます。
日本人が数多の神を信じてゐるやうに見えますけれども、やはり考へ方の傾向は、一つ或は僅かの神々に帰して来るのだと思ひます。今日でも植民地に神社を造つたその経験を考へて見ますといふと、皆まづ天照大神を祀つてをります。この考へ方はおそらく多くの間違ひ――多くの植民政策を採る人の間違つた考へを含んでゐた、或はそれを指導する神道家が間違つた指導をしてゐた、といふことを意味してゐるのでせうけれども、やはりその間違ひの根本に、さういふ統一の行はれる一つの理由があつた。つまりどうしても、一神に考へが帰せられねばならぬところがあつたのだと思ひます。
それで、われ/\はこゝによく考へて見ねばならぬことは、日本の神々は、実は神社において、あんなに尊信を続けられて来たといふ風な形には見えてゐますけれども、神その方としての本当の情熱をもつて
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