れた日本の神々は、これは宗教の神として信じられてゐたのではないのです。たとへば法華経では、これに附属した経典擁護の神として、わが国の神を考へ、崇拝せられて来たにすぎません。日本の神として、独立した信仰の対象になつてゐた訣ではありません。だから日本の神が本当に宗教的に独立した、宗教的な渇仰の的になつて来たといふ事実は、今までの間になかつたと申してよいと思ひます。
一体、日本の神々の性質から申しますと、多神教的なものだといふ風に考へられて来てをりますが、事実においては日本の神を考へます時には、みな一神的な考へ方になるのです。
たとへば、沢山神々があつても、日本の神を考へる時には、天照大神を感じる。或は高皇産霊神を感じる、或は天御中主神を感じるといふやうに、一個の神だけをば感じる考へ癖といふものがあります。その間にいろ/\な神々、最も卑劣な考へ方では、いはゆる八百万の神といふやうな神観は、低い知識の上でこそ考へてゐますが、われ/\の宗教的或は信仰的な考へ方の上には、本当は現れては参りません。日本といふ国の信仰の形は、さういふ風があると見えて、仏教の側で申しましても、多神的な信仰の方面を持ちな
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