、これまで宗教化するといふことをば、大変いけないことのやうに考へる癖がついてをりました。つまり宗教として取り扱ふことは、神道の道徳的な要素を失つて行くことになる。神道をあまり道徳化して考へてをります為に、それから一歩でも出ることは道徳外れしたものゝやうにしてしまふ。神道は宗教ぢやない。宗教的に考へるのは、あの教派神道といはれるもの同様になるのと同じだといふ、不思議な潔癖から神道の道徳観を立てゝ、宗教に赴くことを、極力防ぎ拒みして来てゐました。
われ/\の近い経験では――勿論われ/\は生れてをらぬ時代ですが――明治維新前後に、日本の教派神道といふものは、雲のごとく興つて参りました。どうしてあの時代に、教派神道が盛んに興つて来たかと申しますと、これは先に申しました潔癖なる道徳観が、邪魔をすることが出来なかつた。一旦誤られた潔癖な神道観が、地を払うた為に、そこにむら/\と自由な神道の芽生えが現れて来たのです。
たゞ此時に、本当の指導者と申しますか、本当の自覚者と申しますか、正しい教養を持つて、正しい立場を持つた祖述者が出て来て、その宗教化を進めて行つたら、どんなにいゝ幾流かの神道教が現れたか
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