り、神を汚すことだと、さういつた考へを持つてゐたことが、根本の誤りだつたらうと思はれるのです。だからどうしてもわれ/\は、こゝにおいて神道が宗教として新しく復活して現れて来るのを、情熱を深めて仰ぎ望むべきだと思ひます。
たゞわれ/\の情熱だけで、宗教を出現させることの出来るものでもありません。宗教には何よりもまづ、自覚者が出現せねばなりません。神をば感じる人が出なければ、千部万部の経典や、それに相当する神学が組織せられてゐても、意味がありません。いくらわれ/\がきびしく待ち望んだところで、さういふ人がさういふ状態に入るといふことは、必しも起つて来ることでもありません。しかし、たゞわれ/\がさうした心構へにおいて、百人・千人、或は万人、多数の人間が憧憬をし、憧れてゐたら、遂にはさういふ神を感得する人が現れて来るだらう、おそらくさういふ宗教が実現して来るだらうと信じます。
其ばかりではない。おそらく最近に、教養の高い人の中から、きつと神道宗教の自覚者をば出すことになるだらうと思ひます。それには、われ/\は深い省みと強い感情とをもつて、われ/\自身の心から、われ/\自身の肉体から、迸り出るやうに、さういふ人が、啓示をもつて出て来るやうにし向けなければなりません。極端な言ひ方をすれば、われ/\幾万の神道教信者の中に、最も神の旨に叶つた予言者たり得るものありやといふことに帰するのです。
われ/\のすべきことは、さういふ時を待つ態度であります。もし私が宗教的自覚状態に入つて、深い神の意志を把握する――。さういふ時に至るまでの用意が出来てゐるかといふのです。われ/\は、どういふ神を得ようとしてゐるか。われ/\はどういふ神をば曾て持つてゐたか。かういふ解決を要する、最後的な疑問を持つてゐるのでなくてはなりません。
ところが、戦争末期になつて、不思議なことが起つたのです。誠に笑ふべき形を持つて現れて来たのですが――、そこに考へてよい旨が感じられました。それは神道家・官僚人らの間に、天照大神が上か、天御中主神が上かという争論が起つたことがございました。それをば世上の争ひとして、或は世上の争ひに似たやうなことで解決つけようとした人もあつたのです。其時、われ/\は非常に憤りを感じました。神々に関する知識を解決するのに、何たる行動をとるのだらう。宗教のことをば、どういふ筋合ひあつて、かういふ
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