がら、その時代々々によつて、信仰の中心は、いつでも移動してをりまして、二・三或は一つの仏・菩薩が対象として尊信せられて参りました。釈迦であり、観音であり、或は薬師であり、地蔵であり、さういふ方々が中心として、信じられてゐたのです。これが同時に日本人の信仰の仕方だと思ひます。
日本人が数多の神を信じてゐるやうに見えますけれども、やはり考へ方の傾向は、一つ或は僅かの神々に帰して来るのだと思ひます。今日でも植民地に神社を造つたその経験を考へて見ますといふと、皆まづ天照大神を祀つてをります。この考へ方はおそらく多くの間違ひ――多くの植民政策を採る人の間違つた考へを含んでゐた、或はそれを指導する神道家が間違つた指導をしてゐた、といふことを意味してゐるのでせうけれども、やはりその間違ひの根本に、さういふ統一の行はれる一つの理由があつた。つまりどうしても、一神に考へが帰せられねばならぬところがあつたのだと思ひます。
それで、われ/\はこゝによく考へて見ねばならぬことは、日本の神々は、実は神社において、あんなに尊信を続けられて来たといふ風な形には見えてゐますけれども、神その方としての本当の情熱をもつての信仰を受けてをられたかといふことを、よく考へて見る必要があるのです。千年以来、神社教信仰の下火の時代が続いてゐたのです。例をとつて言へば、ぎりしや[#「ぎりしや」に傍線]・ろうま[#「ろうま」に傍線]における「神々の死」といつた年代が、千年以上続いてゐたと思はねばならぬのです。
仏教の信仰のために、日本の神は、その擁護神として存在したこと、欧洲の古代神の「聖何某《セントナニガシ》」といふやうな名で習合存続したやうなものであります。
われ/\は、日本の神々を、宗教の上に[#「宗教の上に」に傍点]復活させて、千年以来の神の軛《クビキ》から解放してさし上げなければならぬのです。こゝに新しい信徒に向つては、初めてそれらを呼び醒さなければならないでせう。とにかくさうしなければ、日本の只今のかういふ風に堕落しきつたやうな、あらゆる礼譲、あらゆる美しい習慣を失つてしまつた世の中は救ふことが出来ません。また、そればかりではありません。日本精神を云々する人々の根本の方針に誤つた処が、もしあつたとしたなら、この宗教を失つてゐた――宗教を考へることをしなかつた――、宗教をば、神道の上に考へることが罪悪であ
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