風に解決しようとするのか、神を汚すことの甚しいものとして、非常に残念に感じ、危く悲憤の涙をこぼすばかりに感じました。
かういふあり様だから、神々に背かれたのです。しかし今、冷やかになつて考へます反省は、日本のこれから後に現れて来る宗教上の神の実体といふものが、そこに示されてゐるのだといふことです。天照大神、或は天御中主神、それらの神々の間に漂蕩し、棚引いてゐる一種の宗教的な或性質の、混じてゐるところの神なるものが、暗示してゐるのではないかといふことです。
只今になつて、さう考へるのです。其はかういふことです。日本の信仰の中には、他国に多少その要素があつても、日本的にまた世界的にも、特殊であり、すべてに宗教から自由なものと言つていゝものゝあることです。
それは、高皇産霊神・神皇産霊神と言つてゐる――、あの産霊神の信仰です。字は、産むの「産」、たましひの「霊」で、魂を産むといふ風に宛てられてゐますが――、神自身の信仰はさうでなく、生きる力を持つた体中へ、魂をば植ゑつける、或は生命のない物質の中へ魂をば入れる、さうすると魂が発育するとともに、それを容れてゐる物質が、だん/\育つて来る。物質も膨れて来る。魂も発育して来るという風に、両方とも成長して参ります。その一番完全なものが、神、それから人間となつた。それの不完全な、物質的な現れの、最も著しく、強力に示したものが、国土或は島だ、と古代人は考へました。それが日本の大昔の神話に現れてゐる、大八洲国の出来たといふ物語り、或は神々が生れたといふ物語りです。
つまり神によつて体の中に結合せられた魂が、だん/\発育して来る、それとともに物質なり肉体なりが、また同時に成長して来る、その聖なる技術を行ふ神が、つまり高皇産霊神・神皇産霊神、即むすび[#「むすび」に傍点]の神であります。つまり霊魂を与へるとともに、肉体と霊魂との間に、生命を生じさせる、さういふ力を持つた神の信仰を、神道教の出発点に持つてをります。それで考へ易い誤りがあつて、日本は昔から、その産霊神をば祖先として考へてゐる家々もありました。
おなじ考へ方からして、古代の書物に、これを宮廷の祖先といふ風にも考へてゐるのです。皇祖とか祖宗とか書いてあります神の中には、この高皇産霊神・神皇産霊神たちを申してゐる例も多いのです。しかしよく考へますと、魂を植ゑつけた神で、人間神ではない
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