のです。しかし日本人は、さういふ神々を祖先として感じ易かつた。その論理の筋は訣ります。
今にいたるまで、日本人は、信仰的に関係の深い神を、すぐさま祖先といふ風に考へ勝ちであります。その考へのために、祖先でない神を祖先とした例が、過去には沢山にあるのです。高皇産霊神・神皇産霊神も、人間としての日本人の祖先であらう訣はないのです。つまり、人間の魂を――肉体を成長させ、発育さした生命の本になるものを植ゑつけた、と考へられた神なのであります。
われ/\はまづ、産霊神を祖先として感ずることを止めなければなりません。宗教の神を、われ/\人間の祖先であるといふ風に考へるのは、神道教を誤謬に導くものです。それからして、宗教と関係の薄い特殊な倫理観をすら導き込むやうになつたのです。だからまづ其最初の難点であるところの、これらの大きな神々をば、われ/\の人間系図の中から引き離して、系図以外に独立した宗教上の神として考へるのが、至当だと思ひます。さうして其神によつて、われ/\の心身がかく発育して来た。われ/\の神話の上では、われ/\の住んでゐる此土地も、われ/\の眺める山川草木も、総て此神が、それ/″\、適当な霊魂を附与したのが発育して来て、国土として生き、草木として生き、山川として成長して来た。人間・動物・地理・地物皆、生命を完了してゐるのだといふことをば、まう一度、新しい立場から信じ直さなければならないと思ひます。つまりわれ/\の知識の復活が、まづ必要なのです。
神道教は要するに、この高皇産霊神・神皇産霊神を中心とした宗教神の筋目の上に、更に考へを進めて行かなければなりません。その用意もすでに、大体出来てをります。それが久しい神道学の準備せられた効果なのです。たゞわれ/\にまだ欠けてゐるのは、それを宗教化するところの情熱です。われ/\の前に漠々たるものは、さういふ宗教家が、われ/\の前に現れて来ることを待つてゐるばかりの、現実です。
われ/\が本当に此世の中の秩序を回復し、世の中をよい世の中にし、礼譲のある美しい世の中にするのには、まう一遍埋没した神々に、復活を乞はなければなりません。まう一遍神を信ずる心を、とり返さねばなりません。さうしない限り、この日本の秩序ある美しい社会生活といふものは、実現せられないだらうと思ひます。
其日まで、われ/\はかうして、神道の神学を組織するに努めて
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