は、宮殿の居まはりの山を讃め、水を讃める古い意味の風水――墓相でなく――をうたつた歌であるらしい。此は家を讃める事から来る当然の帰結であつて、家を讃める事は同時に、家主の生命を讃める事であり、又同時に、生命の本源として、魂として、家主の腹中に入る水を褒める事であるからである。高い新築家屋の屋根から、垂下してゐる飾り縄が、水の意味に成つたといふ事も、かういふ風に観て来れば、少しの不思議もないのである。
橘守部の痛快に解釈した「大王《オホギミ》の御寿《ミイノチ》は長く天《アマ》たらしたり」の歌なども「天之御蔭・日之御蔭」といふことが、類型的の表現になつてゐる為に、其間に、綱の事を云ふのを忘れて了うてゐるのである。そんな事をこくめいに云はずとも、漠然たる常套的の感じを誘ふ詞章で、天子の齢を祝福する事が出来るからである。其外に又、出雲国造神寿詞の「天乃美賀秘」――秘の字は、相変らず疑問――は、頭に冠るかつら[#「かつら」に傍線]の事であつて、此も畢竟、播磨風土記などに見えた、兜の類に言うたかげ[#「かげ」に傍線]であるが、普通の天之御蔭・日之御蔭とは、大分用ゐ方が違つてゐる。
とにかく、かうい
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