に過ぎなかつたのではあるまいか。今までの私は、全体的に芸術中心・文学中心の歴史を調べて行かうと志して、進行してゐたのであるが、結局それが、神道史の研究にも合致する事になつた。今日の処では、まだ/\発生点の研究に止まつてゐるが、こゝでは、其一端に就て述べて見たいと思ふ。
二
第一にまづ、言ひたいのは、日本の神道家の用語である。祭式上の用語とか、内務省風の用語とかでなく、昔から使はれてゐる神道関係の言葉が、どの位古い所まで突き詰めて研究されてゐるか、此が一番の問題であると思ふ。勿論或点までは、随分先輩の人々も試みられてゐるに違ひないが、それ等は何れも皆、天井でつかへてゐる。譬へば、神道といふ語自身が、何処から来てゐるかすら、今までに十分、徹底して調べた人がない。
私は、神道といふ語が世間的に出来たのは、決して、神道の光栄を発揮する所以でないと思ふ。寧、仏家が一種の天部・提婆の道、即異端の道として、「法」に対して「道」と名づけたものらしいのである。さうした由緒を持つた語である様だ。
日本紀あたりに仏法・神道と対立してゐる場合も、やはり、さうである。大きな教へに対して、其一部に含
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