私としては、日本民族の思考の法則が、どんな所から発生し、展開し、変化して、今日に及んだかに注目して、其方向から探りを入れて見たい。いゝ事ばかりを抽象して来て、論じたのでは、結局嘘に帰して了ふ。
神道の美点ばかりを継ぎ合せて、それが真の神道だ、と心得てゐる人たちは、仏教や儒教・道教の如きものは、皆神道の敵だとしてゐるが、段々調べて見ると、神道起原だと思ふ事が、案外にも仏教だつたり、儒教又は道教だつたりする事が、尠くない。こんな事になるのは、つまり日本人の民族的思考の法則が、ほんとうに訣つてゐないからである。日本人の民族文明の基調が、外国人のものに比べて、どれだけ、特異に定められてゐるかを見ずに、末梢的な事ばかりに注意を払つてゐるから、いけないのである。
私は此民族論理の展開して行つた跡を、仔細に辿つて見て、然る後始めて、真の神道研究が行はれるのであると考へる。卒直に云ふならば、神道は今や将に建て直しの時期に、直面してゐるのではあるまいか。すつかり今までのものを解体して、地盤から築き直してかゝらねば、最早、行き場がないのではあるまいか。今までの神道説が、単に、かりそめ葺きの小屋の、建てまし
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