た生活をしてゐるから、ほんとうの神になつて了ふのである。宮廷では中天皇《ナカツスメラミコト》――又は中皇命――が、それに当らせられる。此は主として、皇后陛下の事を申したらしく、後には、それから中宮・中宮院などゝといふ称呼を生んで来てゐる。平安朝の中宮も、それであらう。中といふのは、中間の意味で、天子と神との間にゐる、尊い方だからである。我々は、普通に此を天皇陛下の方へ引き附けて、神とは離して考へてゐるが、天子が在らせられない場合には、その中天皇が女帝とおなじ意味に居させられる。神功皇后・持統天皇などは、其適例である。つまり、次代の天皇たる資格のお方が出直されるまで、仮りに帝座に即いて、待つてゐられるのである。現に清寧天皇などは、殆《ほとんど》待ちくたぶれておいでになつた様な有様である。
此事を日本人の古い考へ方で云ふと、此等の中天皇は、神の唱へ言を受け継がれる為に、ある時期だけ、神となられるのであるが、後には此に、別種の信仰即、魂の信仰が結びついて、唱へ言をすると、神の魂がついて来る、といふ観念が生れた。神前に供へた食物を喰べても、ついて来るものと信じてゐた。
昔、わが国では、たまふり
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