[#「たまふり」に傍線]といふ事が行はれたが、其原意はやはり、魂を固著させる事である。其が後には、鎮魂即、たましづめ[#「たましづめ」に傍線]といふ様な思想に変化するが、其までの間に、魂がふゆ[#「ふゆ」に傍線]、魂をふやす[#「ふやす」に傍線]などの思想が、存在したのであつて、恩賚即、奈良朝前後の「みたまのふゆ」などゝいふ言葉も、其処から生れて来てゐるのである。
かういふ意味で、神に食物又は、類似の物を捧げるといふことは、相互の魂の交換を図る為である。出雲国造神賀詞なども、其氏の人が、服従を誓ふ為に、唱へ言をすると同時に、其魂が先方へ附くのであるが、其だけでは物足りないので、魂は其食物につく、といふ古い信仰に随つて、食物を捧げ、氏々の祝詞を唱へて、魂を呼ぶ事になつた。鏡餅・水・粢・醴・握り飯など、様々の供物を捧げる根原は、こゝにある。つまり両方面を兼ねて、魂を捧げる、といふ事になつたのである。
だから、唱へ言は、其唱へられる人々からは、寿詞即、齢に関する詞であると同時に、此を唱へる人から見れば、服従の誓詞である。即、守護の魂を捧げて仕へてゐる人の健康を増進せんとすること、其が服従の最
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