あの一篇の曾我物語を成したのである。三州長篠のおとら狐や、讃岐の屋島狸が、長篠合戦や、源平合戦の話をするのも、此類である。不思議にも、長篠には浄瑠璃姫の蹟が残つてゐる。有名な屋島狸も、やはり此亜流で、すべてかういふ風に、旧事を物語る人は、必不老不死である、と信ぜられてゐたのである。そして同時に、何処までも遠く遍歴し、謳ひゝろめて歩いてゐた事を示してゐる。
此事を証拠立てる近世の著しい例は、歌念仏を語りあるく念仏比丘尼で、此比丘尼の事は、浄瑠璃にも残つてゐる。殊に、懺悔物語をする比丘尼に於て著しい。若狭の八百比丘尼も、恐らく、其一種の古いものであらうと思ふ。それに、的確に中る例は、近松の「五十年忌歌念仏」である。あれを見ると、清十郎が殺されてから、清十郎の妹と許嫁の女とが、共に歌比丘尼として、廻国の旅に出ることになつてゐるが、此戯曲の根本を考へると、最初は、歌比丘尼の歌が、本《もと》になつて出来たもので、其前には「五人女」のお夏があり、更に其前に、歌祭文の材料になつたお夏があつたのである。西沢一風といふ人が、姫路に行つて、老後のお夏に逢つて、幻滅を感じたといふ有名な話は、多分ほんとうであ
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