、到る所に、祝詞の信仰が澱み残つてゐる。
譬へば、此は、圧迫の烈しかつた為でもあるが、文芸作品の上に現れて来る其時代の出来事は、時代も場所も、現実のものとは変更されてゐる。浄瑠璃を見ても、戯作を見てもさうだ。大阪陣や関个原の役の敵身方は、何れも鎌倉方・京方になつてゐる。歌舞妓芝居は固より、洒落本類や粋書本などにも、其影響が見られる。即、其等の本では、江戸の事を鎌倉へ持つて行つてゐる。稲瀬川三囲の段だの、何が谷《ヤツ》などいふ地名を、江戸の町名の替りにした様な例もあれば、又富个岡八幡を、鶴个岡めかしたやうな記載も見られる。
かういふ風に、時間や空間が、徳川文芸の上で無視せられてゐるのは、前にも述べた通り、確かに、幕府の圧迫に原因してゐる、といつてよいが、特にかういふ遁げ路を取つたのには、理由がなくてはならぬ。私は此を以て、祝詞の信仰が、日本人の頭脳に根深く這入つてゐる結果である、と見るのであつて、よし個々の作者には其処までの確かな意識がないとしても、全体として、其処に源を発してゐる事は、争はれないと思ふ。
次に又、みこともち[#「みこともち」に傍線]の思想から演繹されるのは、をち[#「を
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