が国には古くからあつた事なのである。
かういふ風に、祝詞の力一つで、時間も元へ戻るし、又場所も、自由に移動する。即、時間も空間も、祝詞一つで、どうにでもなるのである。
我が国には古く、言霊《コトダマ》の信仰があるが、従来の解釈の様に、断篇的の言葉に言霊が存在する、と見るのは後世的であつて、古くは、言霊を以て、呪詞の中に潜在する精霊である、と解したのである。併し、それとても、太古からあつた信仰ではない。それよりも前に、祝詞には、其言葉を最初に発した、神の力が宿つてゐて、其言葉を唱へる人は、直ちに其神に成る、といふ信仰のあつた為に、祝詞が神聖視されたのである。そして後世には、其事が忘れられて了うた為に、祝詞には言霊が潜在する、と思ふに至つたのである。だから、言霊と言ふ語の解釈も、比較的に、新しい時代の用語例に、あてはまるに過ぎないものだ、と云はねばならぬ。世間、学者の説く所は、先の先があるもので、かう言ふ信仰行事が、演劇・舞踊・声楽化して出来たのが、日本演芸である。だから日本の芸術には、極端に昔を残してゐる。徳川時代になつても、その改められた所は、ほんの局部に過ぎない。そして注意して見ると 
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