のは、貸借行為の解放であつて、一たび其詔勅が下れば、一切の債権・債務が帳消しとなるのである。そこで、其関係を男女の関係に当てはめて、軽い皮肉を云つたのが此歌である。こゝに「みのり」とあるのは、朝廷からの命令の事で、憲法を「みのり」と訓むのと、意味に於ておなじことであるが、畢竟此も祝詞であつたのが原形だと見てよい。
商変のみのり[#「みのり」に傍線]の思想は、察するところ、春の初めに、天皇陛下が高御座に上つて、初春の頌詞を宣らせられると、又、天地が新になるといふ思想から、出てゐるのであらう。後には此宮廷行事が、御即位の時だけしかなくなつたが、高御座は、天皇陛下が、天神とおなじ資格になられる場所である。一たび其処へお登りになれば、その宣らせ給ふお言葉は、直ちに、天神自身の言葉である。そして其お言葉が宣られることに依つて、すつかり、時間が元へ復るのである。商変のみのり[#「みのり」に傍線]の効力は、畢竟、此と同一観念に基くものである。民間に関した記録が尠い為に、後世、室町時代に現れた徳政の施行が、物珍らしい事の様に、一部では見られてゐるが、祝詞に対する信仰から云へば、此は当然の形であつて、我
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