天皇なのであつた。其が其中でも、特に印象の深いお方だけの、固有名詞のやうになつて残るに至つたのである。
又、続紀を見ると、「すめらが御代々々中今」といふ風な発想語が見えてゐる。此は、今が一番中心の時だと云ふ意味である。即、今の此時間が、一番のほんとうの時間だ、と思つてゐるのである。一方では「皇が御代々々」といふ長い時間を考へながら、しかも呪詞の力で、其長い時間の中でも、今が最ほんとうの時間になる、と信じたのである。
天が下といふ事でも、古くは天皇陛下の在らせられる処は、高天が原の真下に当る、といふ考へから出た語である。つまり、天と地と直通してゐる皇居だけが、天が下であつた。そして此も皆、祝詞の力が、さうさせるのであつた。
更に今一層、不思議な事は、「商返」の観念である。此は、万葉の歌の中に出て来る事で、普通には「あきかへし」と訓まれてゐるが、又「あきかはり」とも訓まれる。
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商変《アキカヘシ》、しろすとのみのりあらばこそ、我が下ごろも、かへし賜《タバ》らめ(万葉集巻十六)
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といふのが其歌で、此意味は古来明瞭にわかつてゐる。此「商変」といふ
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