、大和の祝詞を唱へたのであつて、其証拠は、京都近郊の御料地の神を祭る時の祝詞に、大和の六つの御県の、神名の出て来る事でも明らかである。
尚又、其に関聯して起るのは、地名が転移する事である。全国の地名には、平凡に近い程までに、同名が多くある。が尠くとも、其第一原因は、皆祝詞がさうさせたのである。藤原・飛鳥などは、その顕著な一例であらう。その外、葦原[#(ノ)]中国は、九州にもあり、その他、方々にあるが、此は葦原[g(ノ)]中国の祝詞を唱へれば、即そこが、葦原[#(ノ)]中国になるのであるから、少しも不思議はない。察する所、昔はもつと自由に、地名が移動したのであつて、譬へば、天孫降臨を伝へる叙事詩を諷《うた》へば、直ちに其処が、日向の地になつたであらうと思ふ。此は、昔の人の思考の法則から見て、極めて自然な事である。だから、時間なんかは勿論、いつでも超越してゐた。譬へば、神武天皇も、崇神天皇も、共に「肇国《ハツクニ》しろす天皇」である。私は少年時代に、此事を合理的に考へて見て、どうも、命の革る国の俤を仄かに映し見てゐたのだが、此も肇国の唱へ言があつて、その祝詞を唱へられたお方は、皆肇国しろす
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