はり残つてゐる。譬へば、寺々に附属してゐる唱門師がさうである。あれは元来、声聞身と呼ぶ、低い寺奴の階級であるが、諸方を唱へ言して歩いた。後には、陰陽道に入つて、陰陽師となつたものも多い。処が、此等の唱門師は、面白い事に、大抵藤原氏を名告つてゐる。此は、唱へ言を唱へることによつて、藤原氏と同格になる事を意味するのである。――此は、中臣になれない事情があるからの事で、又禁ぜられてもゐたのらしい――我々は時々、交通の不便な山間の僻村に、源氏又は平家・藤原の落人の子孫と称する人々の、部落を作つてゐることを見聞きするが、中には、一村皆藤原氏からなつてゐる、所謂落人村がある。ちよつと聞いたのでは、理由が判らぬが、実は皆、唱門師の住みついた空閑の新地である。祓へ言を唱へたからの名である。又蛇を退散させる呪文などに、「藤原々々ふぢはらや[#「ふぢはらや」に傍線]」などいふ句のあるのも、やはり、此唱門師の、藤原から来てゐるのである。
さういふ風に、本来のみこと[#「みこと」に傍線]を発した人と、此を唱へる者とが、一時的に同資格に置かれるといふ思想は、後になると、いつまでも、其資格が永続するといふ処まで発展して来た。天皇陛下が同時に、天つ神である、といふ観念は、其処から出発してゐるのであつて、其が惟神《かむながら》の根本の意味である。惟神とは「神それ自身」の意であつて、天皇陛下が唱へ言を遊ばされる為に、神格即惟神の現《アキ》つ御神《ミカミ》の御資格を得させられるのである。此惟神の観念は、中臣その他のみこともち[#「みこともち」に傍線]の上にも移して、考へる事が出来るのであつて、随つて、専《もつぱら》朝廷の神事を掌つた中臣が、優勢を占めるに至つたのは、固より当然の事である。

     四

此中臣氏が、宮廷に於ける男性のみこともち[#「みこともち」に傍線]であつたのに対して、別に又、宮廷の婦人にも、一種のみこともち[#「みこともち」に傍線]らしいものがある。推察するところ、此等の婦人たちは、口でみこと[#「みこと」に傍線]を伝へたであらうと思はれるが、其が後に、文書の形に書き取られる様になつたのが、所謂、内侍宣・女房宣であらう。後期王朝になると、かういふ婦人たちを、みこともち[#「みこともち」に傍線]としての資格を持つてゐるもの、と考へてはゐなかつたらしいが、江家次第の類を見ると、まだ中臣女・物部女などの記載があつて、殊に、中臣女が屡、目に著く。此記録の書かれた時分には、既に固定して、無意味となつて了うてゐるが、これは元来、天皇陛下の御禊に陪して、種々のお手助けをする女である。
そこで、考へに上るのは、古い時代の后妃には、水神の女子が多い事である。私は近頃、水神及び、水神の巫女なる「水の女」の事を考へてゐるが、不思議にも、天孫降臨の最初のお后このはなのさくや[#「このはなのさくや」に傍線]媛だけは、おほやまつみ[#「おほやまつみ」に傍線]の娘であるけれど、其以後の后妃は、垂仁帝あたりまで、大抵、水神の娘である。さうして、さくや[#「さくや」に傍線]媛すら「水の女」の要素を十分に持つてゐられた事が窺へるのである。要するに、出雲系の神は皆「水の神」又は「水の女」で、試みに、すさのを[#「すさのを」に傍線]・おほくにぬし[#「おほくにぬし」に傍線]の系統を辿つて行くと、大抵水神であることを発見する。とにかく、代々の后妃に出雲系、随つて、水神系の多い事は、事実であつて、此で見ると、代々の妃嬪は古く皆、水神の娘の資格で、宮廷に上られ、更に、出雲系の女の形式を以て、仕へ始められたものといふ事が、出来さうなのである。
此に関聯して、一つ不思議なことがある。それは垂仁の巻に、后さほ[#「さほ」に傍線]媛が、兄と共に、稲城の中で焼け死なうとされた時に、天皇が使ひを遣して、「汝の堅めし美豆《ミヅ》乃|小佩《ヲヒモ》は誰かも解かむ」と問はしめ給ふと、さほ[#「さほ」に傍線]媛は美智能宇斯王《ミチノウシノミコ》の女の兄毘売・弟毘売をお使ひになつたらよからう、と奉答されてゐる一事である。此は、従来の解釈では、后となるのだから、小佩を解くのである、といふ風に解せられてゐるが、其考へは逆であつて、小佩を解くから、后になるのである。小佩を解くのは、禊に随伴する必須の条件であつて、禊と小佩を結び堅める役目と、妃であるといふ事とは、何処までも循環的の関係である。而も、第一には、水中から現れて、天子の物忌みの小佩を解く役の人である。


     五

此みこともち[#「みこともち」に傍線]の思想が変形すると、今度は「申」更に簡単になると「預」になる。「申」となると、みこともち[#「みこともち」に傍線]よりは、少し意味が広くなつて、摂政の如きものも「政申すつかさ」である。此「申す」と
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