#「うくわい」に傍線](迂回)して行きや、ぢつきせいはん[#「せいはん」に傍線](製板小屋)が見えるがのし」
此は、五十恰好の木樵りが大台ヶ原の山中で、道を教へてくれた時の語です。国語教育家は前代の人々に対して、どう申しわけがあると思ふのでせう。私は、国語調査会の事業が、なぜ此方面に伸びて行かないのかを訝しみます。漢字制限の申し合せは、確かによい結果を生みませう。併し、責任者自身すぐに実行にうつらないのはどうした事なのです。新聞記者は、気移り目移りの早い人々です。今暫らくは、むづかしい字を仮名に改めるしち[#「しち」に傍点]面倒を堪へて居てもぢきに元に戻ります。世間は、誰も仮名で隈なく表される語を使はうとはしないのですもの。
仮名づかひの為に、時間を空費する事も、心配は心配ですが、でも、此方に比べれば、消極的の事です。私どもの祖先からの語は、どん/\死語として、辞書の鬼籍に入つて行きます。其に替るものが、どし/\漢字典から掘り出されてくる木乃伊であるのをどう見てゐるのでせう。稀に国語的発想に従つたものも、徳川時代の色町から出た語よりも、すさんだ[#「すさんだ」に傍点]気持ちを持つてゐる
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