のあるものです。だから、どんな所謂ちよくな[#「ちよくな」に傍点]語にでも、相当な中身は段々出来て来ます。私どもは其に満足してゐる様な姿なのです。本来が本来だけに、浅く脆いさく/\した語ばかりを、明治大正の私どもは造りました。どつしりした[#「どつしりした」に傍点]語、しなやかな[#「しなやかな」に傍点]言ひ表し方、品のよい言語情調などが、どこにありませう。新聞を見ても、雑誌を見ても、私どもの語は浅ましく陳列せられて居ります。学校にも、街頭にも、電車の中にも、傍田舎《カタヰナカ》の寄り合ひにも、使はれてゐる語は、皆ぎしやばつた[#「ぎしやばつた」に傍点]形式の、空疎な内容のものです。造語の責任感の乏しい新聞記者が、やたらとむづかしく[#「むづかしく」に傍点]て、げび[#「げび」に傍点]て、とげ/\しい語を製造します。役人は役人で、まだ漢語を使ふ事が官吏の気品を示す所以だと言つた、妙な階級意識を失はないで居ます。其為、郡・村・大字の爺・婆・子どもまでが、ぎごちない[#「ぎごちない」に傍点]、徒らにひねくれた音覚を持つ語を喜んで使ひます。
「べうほ[#「べうほ」に傍線](苗圃)をうくわい[
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