のは情ないなあと言つた詠歎だけではすまされない、積極の努力を要する問題です。
国語の運命を支配する位置にゐる官庁や、団体が、見てくれのはでやかさ[#「見てくれのはでやかさ」に傍点]を喜ぶ傾向のあるのは、国民生活を思ふ人の為事としては、寂しすぎる事ではありませんか。
近年盛んになつた芸術教育は結構な事です。けれども、どれだけの自覚から出てゐるかになると、甚しく気が細ります。芸術教育の国民生活に滋味を与へる事が、造語能力の増進と言ふ処まで伸びなければ、嘘だと思ひます。
略語発想を例にとつて見ませう。昔なら、商工業の人々が、近江屋六兵衛だから近六、大工の金蔵だから、てんぷら[#「てんぷら」に傍点]屋の五作だから、大金・天五と言ふ類のものはありました。けれども、士君子と言つた意識を持つた人々からは、見さげられてゐた称へなのです。だから、水野越前守をば「水越」と呼ぶ事に、極端な憎悪と侮蔑とを吹き込めて居たのでした。其がどうでせう。帝展・院展・帝大・一高などはまだよい方です。満鉄などは、若い人には、其が南満洲鉄道の略語と言ふ事すらも見当がつかなくなつて居るやうなあり様なのです。此国民的悪癖は、どう
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