々普通の書物好みから遠ざかつて行つた様です。「日本書紀|葦牙《アシカビ》」と言ふ本を天王寺の古本屋から見つけて来て、神代の神の名をすつかり諳誦してしまひました。まるで小さい語部《カタリベ》の様な姿です。医者だつた父は医者になれと殆ど遺言と申す事も出来るほど、死に際まで申して居ました。でも卒業した時は、母・叔母などを泣かしても、やつぱり文学をすると主張しました。而も私のは、二重の難関を通りぬけねばなりませんでした。文学をやるなら、第三高等学校へ行けと、やつと言ひ出してくれた叔母を更に失望させねばなりませんでした。其は、どうしても国学院へ這入らねばならないと言ふ不思議な決心を持つて居たからです。国文学を整理するものとしての、ある思想系統を漠然と掴んでゐた訳なのです。
私の歩んだ道が、私以外の人々にも正しいものとまで自信を持つてゐるのではありません。併しながら、私の考へ方は、この筋道に沿うて、出て来るものより外にはないはずです。

     二

私は、教育家の口から、児童生徒の個性尊重の話を聞く度に、今日の教育の救はれないものに成つた理由を痛感します。教育と宗教とは、別物でありますけれども
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