うた秘密な生活様式の為にも、呪はれて居たのであつた。

     一〇

日本の神々と、動植物との交渉を考へると、動物が神である事の外に、祖先神となつて居る例も、ちら/\ある。其上神の使はしめ[#「神の使はしめ」に傍線]又は、使ひ姫[#「使ひ姫」に傍線]と謂はれる者が、沢山ある。人によつては、此をとうてみずむ[#「とうてみずむ」に傍線]のなごりと考へる向きもある様だが、此ばかりでは、とうてむ[#「とうてむ」に傍線]の意味に叶ふか叶はぬかゞ、先決問題になる。
動物ばかりか、神々によつて、嗜好の植物もある。其うらには又、ある神の氏子に限つて、利用する事の禁じられて居たり、喰ふ事を憚らなければならぬ種類が、動物・植物に通じて、多くあることは、柳田先生其他が、論ぜられもし、報告せられもした。此方面には、殊に植物の領分が広い様である。大抵その原因として、其動植物の障碍の為に、神が失策せられたからの、憎みを頒つのだと伝へて居る。此神の失策とする説明は、恐らく或神話の結びつきがあつて、元の種をくるみ込んで了うたものだと思ふ。元の種なる伝承が忘られる世になつて、民間哲学が、其神話の方へ、原因をひきつけて行つたのである。其神話といふのは、全能なるべき神の為事が、あまのじやく[#「あまのじやく」に傍線]の悪精霊の為に妨げられた為に、不完全な現状があるのだと言ふ説明である。此は逆に、悪精霊が失敗して、神が勝つと言ふ風にもなつて居る。
右の神の企てをしこじらしたり、完成させなかつたりしたと言ふ神話の精霊の位置に、神と感情関係の深い動植物を置いて、説明をしたものだ、と言ふ見当を立てゝ見れば訣る。
神の常用物なり、嗜好品なりを、神の氏人が私するのは、憚り忌むべきことであつた。其が忘れられて、ともかく神に関聯しての憚りだからとの見方から、すつかりうらはらに考へる様になつた。白い鶏は神のおあがり物だから、其を私せぬ習はしが、本を忘れ、末だけになつて、宵鳴きをして、神を驚した事があつたので、神がお憎みになつて居るのだと言ふ。或は神が其木に憑《ヨ》ることを好まれた木や、神の御贄《ミニヘ》に常住供へた植物を遠慮する心持ちが、反対に神が其植物に躓かれたからの憎みを、氏人としては永劫に表現する責任があるのだ、と説明したりしてゐる。神の為の供物が、さうした誤解から、御贄《ミニヘ》の数に入らなくなるのも、自然で
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