ぎ留めて、流れて了はぬ工夫をせられた。八本の柱を樹てゝ、其に綱で結んで置いたのである。其柱は折れ残つて、今も岩となつてゐる。折《ヲ》れ柱《バシラ》と言ふのが、其である。いまだに、八本共に揃うてゐる。渡良の大島・渡良の神瀬《カウゼ》・黒崎の唐人神《タウジンガミ》の鼻・勝本の長島・諸津・瀬戸・八幡の鼻・久喜の岸と、八个処に在る訣である。
此中神瀬のが一番大きく、久喜のは柱|本《モト》岩とも言ふ。唐人神の鼻のは、要塞地帯に包まれて了うたから、もう見に行くことも出来ない。其柱の折れた為、綱も断れて、島は少しづゝ、海の上を動いて、さら[#「さら」に傍点](漂)けて[#「けて」に傍点]居るのである。時々出る、年よりたちの悔み言には、一層の事、筑前の国に接《ツ》けといたら、よかつたらうに、と言ふ事である。折れ柱の名は、今も言ひながら、もう此伝へは、私に聞かした人以外、島の物識り・宿老も口を揃へて、そんな話は聞いたこともないと言うた。唯、神が島を生まれた時と言ひ、壱岐の島の神名「天一ッ柱」の名が、折れ柱に関係あり相なのが、後代の合理化を経て居るのではないか、と思はれる点である。
島の生きて動くこと、繋
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