らわり出して、士分の者を作ることになりました。一定の金額を上納した者、海産物(主として鯨・鰒・海藻)の事情に通じて、才幹のある算筆に達した者、さう言つた者を、平戸物産局配下の役人として、士分扱ひをして、八十石以下の給分をくれたのでした。此が物産の為一方の、謂はゞ藩の手代見た様な者に過ぎないのです。平戸の城代は、郷野浦の上《ウヘ》、武生水《ムシヤウヅ》のおたち山[#「おたち山」に傍線]に来てゐたのですが、此とは何の交渉もありません。
古い意味の士分の家に対しては、歴史的に関係のある村方・浦方の人々は尊敬を失ひませんでした。が、新しい物産の為の士分の者に対しては、別段、主従・親方子方の感情も持ちませんでした。其に此処では、班田制度が、尠くとも戦国以後、ずつと行はれてゐたものと見えますが、此をわり[#「わり」に傍線]と言うて、明治七八年まで続いてゐました。浦方の町人や蜑は、職の上から平等ですし、田を班けられる村方の百姓は、均しくわりあてられる事になつて、二十三年目位には、一切の事情が元に戻るのでした。其で、仲間うちには、極近代までは富みが平均してゐましたし、競争嫉妬など言ふ事がなかつたのです
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