つたらうが、ともかく、女の重要行事であつた事だけは認められるであらう。

     二 雛人形と女神と

此までの学者の説明では、其時に穢れを移して、水に流す筈の紙人形が流されずに、子供・女の玩び物になつたのが、雛祭りの雛だ、といふことになつてゐる様である。穢れを移す人形とは即、撫《ナ》で物《モノ》・形代《カタシロ》・天児《アマガツ》などの名によつて呼ばれるものである。なる程、かう説明すると、上巳の節供と雛人形との関係、延いては淡島との聯絡もつかう。が、も少し考へて見る必要がないであらうか。
従来の我が国の好事家肌の学者の研究では、人形の歴史といふものが、比較的、時代の新しい処に限られてゐる様である。殆ど此撫で物[#「撫で物」に傍線]位が人形の起原をなすもの位に考へられてゐるが、なか/\そんな短い歴史ではかたづけられないのである。
もとはやはり、信仰上の対象として、生れたものに違ひはないが、祭りの中心行事に人形の与ることは、平安朝あたりから近世までは証拠がある。こんな人形は主に、さいのを[#「さいのを」に傍線]又はせいのう[#「せいのう」に傍線]と呼ばれてゐた。此を直に御神体と見立てたといふ程の、古代の形は見あたらぬが、万葉集あたりに採録された、民謡の中には、古事記・日本紀に洩れた昔物語であつて、極めて素樸な身振り芝居、或は偶人劇の舞踊であつたらしいものが、相応に見つけられるのである。万葉巻十三其他に見えてゐる劇的の脚色を持つた長歌の類には、其を演ずる人或は人形を予期することなしには、独立して存在出来ぬ様なものがあるのである。何かしら身振りが入らなければ、文句だけでは足りないのである。
さうした神事に使はれる偶人が、次第に遊戯化して来る道程には、きつと、此神事演劇が梯渡しをしてゐるに違ひない。
勿論、平安朝頃の上流の女たちの玩び物には撫《ナ》で物《モノ》・形代《カタシロ》・天児《アマガツ》などいふ名で呼ばれた人形はあつたのであらうが、祓除の穢れを移す人形を、其儘、玩具にしたとはいへない。形が同じである処から、同様な名前を附けたと見ることも出来るし、殊に、天児《アマガツ》などは祓除以外の神事の人形であることを見せてゐるものらしい。更に更級日記に見えてゐるをみな[#「をみな」に傍線]神なども、単なる形代ではなかつたであらうと思はれる。
厳粛な宮中の祭祀の中で、一種ひよう
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング