輕を知らない人は、始終曇つてばかりゐて、人々も重くるしい口ばかりきいて居るやうに思ふかも知れぬし、又故人の作物評にも、さう言つた「人國記」風な概念がまじつて來てゐるやうである。ところが實際の津輕は、廣々とおだやかで、人も上品な暮しにあこがれることを忘れてはゐない。此事は、おなじ地方根生ひの文學を書いた北畠八穗さんや、深田久彌氏のもので見ても訣る。もつと手取りばやいことは、あの優雅な弘前の町を、一わたり歩いて來ることである。
何だかふつと、私の頭を掠めて、「清き憂ひ」と言ふ語が、浮んで來る。これが、津輕びとの性格の裏打ちになつてゐるやうな氣がする。こんなことを言ふと、買ひ被りだと笑はれさうだし、又人間さう一概に、言へるものでないことも訣つてゐるが、尠くとも太宰君は、さう言ふ人だつた氣がする。文學者は、藝術の選民なのだから、彼がさう言ふ人だつた、と思ふ私の考へを、間違ひだと斷言の出來る人はない筈である。
その作物を見て、私はいつもこの清き憂ひに、心を拭はれるやうに感じてゐた。其なればこそ、顏も見たことのない、又顏も見ないでしまつたこの友人の作物を見ることを、喜んで來たのであつた。だから世間
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