。御津とするのは後の理会で「つ」そのものからして「み」を敬語と逆推してとり放したのであった。常世波を広く考えて、遠くよりより来る船の、その波に送られて来着く場処としてのみつ[#「みつ」に傍線]を考え、さらに「つ」とも言うようになったのである。だから、国造の禊ぎする出雲の「三津」、八十島《やそしま》祓えや御禊《ゴケイ》の行われた難波《なにわ》の「御津《ミツ》」などがあるのだ。津《ツ》と言うに適した地形であっても、かならずしもどこもかしこも、津とは称えないわけなのである。後にはみつ[#「みつ」に傍線]の第一音ばかりで、水を表して熟語を作るようになった。
一一 天の羽衣
みづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]は、禊ぎの聖水の中の行事を記念している語である。瑞《ミヅ》という称え言ではなかった。このひも[#「ひも」に傍線]は「あわ緒」など言うに近い結び方をしたものではないか。
天の羽衣や、みづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]は、湯・河に入るためにつけ易《か》えるものではなかった。湯水の中でも、纏《まと》うたままはいる風が固定して、湯に入る時につけ易えることになった。近代民
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