の語原を示している。聖水に限った名から、日常の飲料をすら「みづ」と言うようになった。聖水を言う以前は、禊ぎの料として、遠い浄土から、時を限ってより来る水を言うたらしい。満潮に言うみつ[#「みつ」に傍線]も、その動詞化したものであろう。だから、常世波《トコヨナミ》として岸により、川を溯《さかのぼ》り、山野の井泉の底にも通じて春の初めの若水となるものである。みつ/\し[#「みつ/\し」に傍線]は、このみづ[#「みづ」に傍線]をあびたものの顔から姿に言う語で、勇ましく、猛々しく、若々しく、生き生きしているなどと分化する。初春の若水ならぬ常の日の水をも、祝福して言うたところから拡がったものであろう。満潮時をば、人の生れる時と考えるのも、常世から魂のより来ると考えたためであるらしい。みつぬかしは[#「みつぬかしは」に傍線](三角柏・御綱柏)や、みづき[#「みづき」に傍線]と通称せられるいろいろの木も、禊ぎに用いた植物で、海のあなたから流れよって、根をおろしたと信じられていたものらしい。
 みつ[#「みつ」に傍線]はまた地名にもなった。そうした常世波のみち来る海浜として、禊ぎの行われたところである
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