しては、古代の記録無力の時代には、もっと音位が自由に動いていたのである。
 結論の導きになることを先に述べると、みぬま[#「みぬま」に傍線]・みぬは[#「みぬは」に傍線]・みつは[#「みつは」に傍線]・みつめ[#「みつめ」に傍線]・みぬめ[#「みぬめ」に傍線]・みるめ[#「みるめ」に傍線]・ひぬま[#「ひぬま」に傍線]・ひぬめ[#「ひぬめ」に傍線]などと変化して、同じ内容が考えられていたようである。地名になったのは、さらに略したみぬ[#「みぬ」に傍線]・みつ[#「みつ」に傍線]・ひぬ[#「ひぬ」に傍線]などがあり、またつ[#「つ」に傍線]・ぬ[#「ぬ」に傍線]を領格の助辞と見てのきり棄てたみま[#「みま」に傍線]・みめ[#「みめ」に傍線]・ひめ[#「ひめ」に傍線]などの郡郷の称号ができている。

     五 丹生と壬生部

 数多かった壬生部《にうべ》の氏々・村々も、だんだん村の旧事を忘れていって、御封《ミブ》という字音に結びついてしもうた。だが早くから、職業は変化して、湯坐《ユヱ》・湯母・乳母《チオモ》・飯嚼《イヒガミ》のほかのものと考えられていた。でも、乳部と宛てたのを見ても、乳
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