ったようである。宗像《むなかた》三女神を祀った家は、その君姓の者と伝えているが、後々は混乱しているであろう。宗像神に事《つか》えるがゆえに、水沼氏を称したのもあるようである。この三女神は、分布の広い神であるが、性格の類似から異神の習合せられたのも多いのである。宇佐から宗像、それから三瀦というふうに、この神の信仰はひろがったと見るのが、今のところ、正しいであろう。だが、三瀦の地で始めて、この家名ができたと見ることはできない。
 それよりも早く神の名のみぬま[#「みぬま」に傍線]があったのである。宗像三女神が名高くなったのは鐘が岬を中心にした航路(私は海の中道《なかみち》に対して、海北の道中が、これだと考えている)にいて、敬拝する者を護ったからのことと思う。水沼神主の信仰が似た形を持ったがために、宗像神に習合しなかったとは言えぬ。そういうことの考えられるほど、みぬま神[#「みぬま神」に傍線]は、古くから広く行きわたっていたのである。三瀦の地名は、みぬま[#「みぬま」に傍線]・みむま[#「みむま」に傍線](倭名鈔)・みつま[#「みつま」に傍線]など、時代によって、発音が変っている。だが全体と
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