むはたとべ[#「かむはたとべ」に傍線]をあげたのは錯誤だ)、おと・かりはたとべ[#「おと・かりはたとべ」に傍線]と言う。くさか・はたひ媛[#「くさか・はたひ媛」に傍線]は、雄略天皇の皇后として現れた方である。
 神功皇后のみ名おきなが・たらし媛[#「おきなが・たらし媛」に傍線]の「たらし」も、記に、帯の字を宛てているのが、当っているのかも知れぬ。
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ひさかたの天《アメ》かな機。「女鳥《メトリ》のわがおほきみの織《オロ》す機。誰《タ》が料《タネ》ろかも。」
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 記・紀の伝えを併せ書くと、こういう形になる。皇女・女王は古くは、皆神女の聖職を持っておられた。この仁徳の御製と伝える歌なども、神女として手ずから機織る殿に、おとずれるまれびと[#「まれびと」に傍線]の姿が伝えられている。機を神殿の物として、天を言うのである。言いかえれば、処女の機屋に居てはたらくのは、夫なるまれびと[#「まれびと」に傍線]を待っていることを、示すことにもなっていたのであろう。
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天孫又問ひて曰はく、「其《カノ》秀起《ホダ》たる浪の穂の上に、八尋殿《やひろどの》起《タ》てゝ、手玉《タダマ》もゆら[#「ゆら」に傍点]に織《ハタ》※[#「糸+壬」、第3水準1−89−92]《オ》る少女《ヲトメ》は、是《これ》誰《た》が子女《ムスメ》ぞ。」答へて曰はく、「大山祇《おおやまつみ》[#(ノ)]神の女等、大《エ》は磐長《いわなが》姫と号《ナノ》り、少《オト》は、木華開耶《このはなさくや》姫と号《ナノ》る。」……(日本紀一書)
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 これは、海岸の斎用水《ユカハ》に棚かけわたして、神服《カムハタ》織る兄《エ》たなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]・弟《オト》たなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]の生活を、ややこまやかに物語っている。丹波道主貴の八処女のことを述べたところで、いはなが媛[#「いはなが媛」に傍線]の呪咀は「水の女」としての職能を、、見せていることを言うておいた。このはなさくや媛[#「このはなさくや媛」に傍線]も、古事記すさのを[#「すさのを」に傍線]のよつぎを見ると、それを証明するものがある。すさのをの命[#「すさのをの命」に傍線]の子やしまじぬみの神[#「やしまじぬみの神」に傍線]、大山祇神の女「名は、木花
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