超越する原理が備っていた。呪詞の、太初《ハジメ》に還す威力の信念である。このことは藤原の条にも触れておいた。天香具山《あめのかぐやま》は、すくなくとも、地上に二か所は考えられていた。比沼の真名井は、天上のものと同視したらしく、天《アメ》[#(ノ)]狭田《サダ》・長田は、地上にも移されていた。大和の高市は天の高市、近江の野洲《やす》川は天の安河と関係あるに違いない。天の二上《ふたかみ》は、地上到る処に、二上山を分布(これは逆に天に上《のぼ》したものと見てもよい)した。こうした因明《いんみょう》以前の感情の論理は、後世までも時代・地理錯誤の痕を残した。
 湯河板挙《ユカハダナ》の精霊の人格化らしい人名に、天[#(ノ)]湯河板挙があって、鵠《くぐい》を逐《お》いながら、御禊ぎの水門《ミナト》を多く発見したと言うている。地上の斎河《ユカハ》を神聖視して、天上の所在と考えることもできたからである。こうした習慣から、神聖観を表すために「天《アメ》」を冠らせるようにもなった。

     一三 筬もつ女

 地上の斎河《ユカハ》に、天上の幻を浮べることができるのだから、天漢に当る天の安河・天の河も、地上のものと混同して、さしつかえは感じなかったのである。たなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]は、天上の聖職を奉仕するものとも考えられた。「あめなるや、弟《おと》たなばたの……」と言うようになったわけである。天の棚機津女《たなばたつめ》を考えることができれば、それにあたかも当る織女星に習合もせられ、また錯誤からくる調和もできやすい。
 おと・たなばた[#「おと・たなばた」に傍線]を言うからは、水の神女に二人以上を進めたこともあるのだ。天上の忌服殿《イムハタドノ》に奉仕するわかひるめ[#「わかひるめ」に傍線]に対するおほひるめ[#「おほひるめ」に傍線]のあったことは、最高の巫女でも、手ずから神の御服を織ったことを示すのだ。
 古代には、機に関した讃え名らしい貴女の名が多かった。二三をとり出すと、おしほみゝの尊[#「おしほみゝの尊」に傍線]の后は、たくはた・ちはた媛[#「たくはた・ちはた媛」に傍線](また、たくはた・ちゝ媛[#「たくはた・ちゝ媛」に傍線])と申した。前にも述べた大国|不遅《フヂ》の女垂仁天皇に召された水の女らしい貴女も、かりはたとべ[#「かりはたとべ」に傍線](いま一人か
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