ていたのらしい。変った考えでは、みつは[#「みつは」に傍線]は水走で、禊《みそ》ぎの水の迸《ほとばし》る様だとするのもある。
 みぬま[#「みぬま」に傍線]・みつは[#「みつは」に傍線]、おなじ語に相違ない。それに若さの形容がつき纏《まと》うている。だが神賀詞に比べると「出居[#「居」に白丸傍点]」という語が「水葉」の用法を自由にしている。動物・人間ともとれる言い方である。ただそうすれば、みつは[#「みつは」に傍線]云々の句に、呪詞なり叙事詩なりの知識が、予約せられていると見ねばならぬ。それにしても、この表記法では、すでに固定して、記録時代の理会が加っているものと言えよう。
 この二つの詞章の間に通じている、一つの事実だけは、やっと知れる。それはこの語が禊ぎに関聯したものなることである。みぬま[#「みぬま」に傍線]・みつは[#「みつは」に傍線]と言い、その若いように、若くなるといった考え方を持っていたらしいとも言える。古代の禊ぎの方式には、重大な条件であったことで、夙《はや》く行われなくなった部分があったのだ。詞章は変改を重ねながら、固定を合理化してゆく。みつは[#「みつは」に傍線]・みぬま[#「みぬま」に傍線]と若やぐ霊力とを、いろいろな形にくみ合せて解釈してくる。それが、詞章の形を歪《ゆが》ませてしまう。
 宮廷の大祓《おおはらえ》式は、あまりにも水との縁が離れ過ぎていた。祝詞の効果を拡張し過ぎて、空文を唱えた傾きが多い。一方また、神祇官の卜部《うらべ》を媒《なかだち》にして、陰陽《おんみょう》道は、知らず悟らぬうちに、古式を飜案して行っていた。出雲国造の奏寿のために上京する際の禊ぎは、出雲風土記の記述によると、わりに古い型を守っていたものと見てよい。そうしてすくなくとも、これにはあって、宮廷の行事および呪詞にない一つは、みぬま[#「みぬま」に傍線]に絡んだ部分である。大祓詞および節折《ヨヲ》りの呪詞の秘密な部分として、発表せられないでいたのかも知れない。だが、大祓詞は放つ方ばかりを扱うたことを示している。禊ぎに関して発生した神々を説く段があって、その後新しい生活を祝福する詞を述べたに違いない。そして大直日《おおなおび》の祭りとその祝詞とが神楽《かぐら》化し、祭文化し、祭文化する以前には、みぬま[#「みぬま」に傍線]という名も出てきたかも知れない。

     
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