た擬古文の上の用語例、こういう二方面から考えてみねば、古い詞章や、事実の真の姿は、わかるはずはない。
二 みぬま[#「みぬま」に傍線]という語
これから言う話なども、この議論を前提としてかかるのが便利でもあり、その有力な一つの証拠にも役立つわけなのである。
出雲|国造《くにのみやつこの》神賀詞《カムヨゴト》に見えた、「をち方のふる川岸、こち方のふる川ぎしに生立[#「生立」に傍線](おひたてるヵ)若水沼間《ワカミヌマ》の、いやわかえに、み若えまし、すゝぎふるをとみ[#「をとみ」に傍線]の水のいや復元《ヲチ》に、み変若《ヲチ》まし、……」とある中の「若水沼間」は、全体何のことだか、国学者の古代研究始まって以来の難義の一つとなっている。「生立」とあるところから、生物と見られがちであった。ことに植物らしいという予断が、結論を曇らしてきたようである。宣長以上の組織力を示したただ一人の国学者鈴木重胤は、結局「くるす」の誤りという仮定を断案のように提出している。だが、何よりも先に、神賀詞の内容や、発想の上に含まれている、幾時代の変改を経てきた、多様な姿を見ることを忘れていた。
早くとも、平安に入って数十年後に、書き物の形をとり、正確には、百数十年たってはじめて公式に記録せられたはずの寿詞《ヨゴト》であったことが、注意せられていなかった。口頭伝承の久しい時間を勘定にいれないでかかっているのは、他の宮廷伝承の祝詞の古い物に対したとおなじ態度である。
「ふる川の向う岸・こちら岸に、大きくなって立っているみぬま[#「みぬま」に傍線]の若いの」と言うてくると、灌木や禾本《かほん》類、ないしは水藻などの聯想が起らずにはいない。ときどきは「生立」に疑いを向けて、「水沼間」の字面の語感にたよって、水たまり・淵などと感じるくらいにとどまったのは、無理もないことである。実は、詞章自身が、口伝えの長い間に、そういう類型式な理会を加えてきていたのである。
一番これに近い例としては、神功紀・住吉《すみのえ》神出現の段「日向《ひむか》の国の橘《たちばな》の小門《おど》のみな底に居て、水葉稚之出居《ミツハモワカ(?)ニイデヰル》神。名は表筒男《うわつつのお》・中筒男・底筒男の神あり」というのがある。これも表現の上から見れば、水中の草葉・瑞々《みずみず》しい葉などを修飾句に据えたものと考え
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