。御津とするのは後の理会で「つ」そのものからして「み」を敬語と逆推してとり放したのであった。常世波を広く考えて、遠くよりより来る船の、その波に送られて来着く場処としてのみつ[#「みつ」に傍線]を考え、さらに「つ」とも言うようになったのである。だから、国造の禊ぎする出雲の「三津」、八十島《やそしま》祓えや御禊《ゴケイ》の行われた難波《なにわ》の「御津《ミツ》」などがあるのだ。津《ツ》と言うに適した地形であっても、かならずしもどこもかしこも、津とは称えないわけなのである。後にはみつ[#「みつ」に傍線]の第一音ばかりで、水を表して熟語を作るようになった。

     一一 天の羽衣

 みづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]は、禊ぎの聖水の中の行事を記念している語である。瑞《ミヅ》という称え言ではなかった。このひも[#「ひも」に傍線]は「あわ緒」など言うに近い結び方をしたものではないか。
 天の羽衣や、みづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]は、湯・河に入るためにつけ易《か》えるものではなかった。湯水の中でも、纏《まと》うたままはいる風が固定して、湯に入る時につけ易えることになった。近代民間の湯具も、これである。そこに水の女が現れて、おのれのみ知る結び目をときほぐして、長い物忌みから解放するのである。すなわちこれと同時に神としての自在な資格を得ることになる。後には、健康のための呪術となった。が、もっとも古くは、神の資格を得るための禁欲生活の間に、外からも侵されぬよう、自らも犯さぬために生命の元と考えた部分を結んでおいたのである。この物忌みの後、水に入り、変若《ヲチ》返って、神となりきるのである。だから、天の羽衣は、神其物《カムナガラ》の生活の間には、不要なので、これをとり匿《かく》されて地上の人となったというのは、物忌み衣の後の考え方から見たのである。さて神としての生活に入ると、常人以上に欲望を満たした。みづのをひも[#「みづのをひも」に傍線]を解いた女は、神秘に触れたのだから、神の嫁[#「神の嫁」に傍線]となる。おそらく湯棚・湯桁は、この神事のために、設けはじめたのだろう。
 御湯殿を中心とした説明も、もはやせばくるしく感じだされた。もっと古い水辺の禊ぎを言わねばならなくなった。湯と言えば、温湯を思うようになったのは、「出《イ》づるゆ」からである。神聖なことを示す温い
前へ 次へ
全26ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング