常世の水の、しかも不慮の湧出を讃えて、ゆかは[#「ゆかは」に傍線]と言い、いづるゆ[#「いづるゆ」に傍線]と言うた。「いづ」の古義は、思いがけない現出を言うようである。おなじ変若水《ヲチミヅ》信仰は、沖縄諸島にも伝承せられている。源河節の「源河走河《ヂンガハリカア》や。水か、湯か、潮《ウシユ》か。源河みやらびの御甦生《ウスヂ》どころ」などは、時を定めて来る常世浪《とこよなみ》に浴する村の巫女《ミヤラビ》の生活を伝えたのだ。
 常世から来るみづ[#「みづ」に傍線]は、常の水より温いと信じられていたのであるが、ゆ[#「ゆ」に傍線]となるとさらに温度を考えるようになった。ゆ[#「ゆ」に傍線]はもと、斎《ユ》である。しかしこのままでは、語をなすに到らぬ。斎用水《ユカハ》あるいはゆかはみづ[#「ゆかはみづ」に傍線]の形がだんだん縮《ちぢま》って、ゆ[#「ゆ」に傍線]一音で、斎用水を表すことができるようになった。だから、ゆ[#「ゆ」に傍線]は最初、禊ぎの地域を示した。斎戒沐浴をゆかはあみ[#「ゆかはあみ」に傍線](紀には、沐浴を訓《よ》む)と言うこともある。だんだんゆかは[#「ゆかは」に傍線]を家の中に作って、ゆかはあみ[#「ゆかはあみ」に傍線]を行うようになった。「いづるゆかは」がいでゆ[#「いでゆ」に傍線]であるから推せば、ゆかは[#「ゆかは」に傍線]も早くぬる水[#「ぬる水」に傍線]になっていたであろう。ゆかは[#「ゆかは」に傍線]が家の中の物として、似あわしくなく感じられだしてくると、ゆかは[#「ゆかは」に傍線]を意味するゆ[#「ゆ」に傍線]がしだいにぬる水[#「ぬる水」に傍線]の名となってゆくのは、自然である。

     一二 たなばたつめ[#「たなばたつめ」に傍線]

 ゆかは[#「ゆかは」に傍線]の前の姿は、多くは海浜または海に通じる川の淵などにあった。村が山野に深く入ってからは、大河の枝川や、池・湖の入り込んだところなどを択んだようである。そこにゆかはだな[#「ゆかはだな」に傍線](湯河板挙)を作って、神の嫁となる処女を、村の神女(そこに生れた者は、成女戒《せいじょかい》を受けた後は、皆この資格を得た)の中から選り出された兄処女《エヲトメ》が、このたな作り[#「たな作り」に傍線]の建て物に住んで、神のおとずれを待っている。これが物見やぐら造り[#「やぐら造り」
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