ならぬと思う。
丹比のみづはわけ[#「丹比のみづはわけ」に傍線]という名は、瑞歯の聯想を正面にしているが、初めは、みつは神[#「みつは神」に傍線]の名をとったことはすでに述べた。詞章の語句または、示現の象徴が、無限に譬喩化せられるのが、古代日本の論理であった。みつは[#「みつは」に傍線]が同時に瑞歯の祝言にもなったのである。だがこれは後についてきた意義である。本義はやはり、別に考えなくてはならぬ。
みぬま[#「みぬま」に傍線]・みつは[#「みつは」に傍線]・みつま[#「みつま」に傍線]・みぬめ[#「みぬめ」に傍線]・みるめ[#「みるめ」に傍線]・ひぬま[#「ひぬま」に傍線]。これだけの語に通ずるところは、水神に関した地名で、これに対して、にふ[#「にふ」に傍線](丹生)と、むなかた[#「むなかた」に傍線]の三女神が、あったらしいことだ。
丹後の比沼山の真名井に現れた女神は、とようかのめ[#「とようかのめ」に傍線]で、外宮《げくう》の神であった。すなわちその水および酒の神としての場合の、神名である。この神初めひぬまのまなゐ[#「ひぬまのまなゐ」に傍線]の水に浴していた。阿波のみつはのめ[#「みつはのめ」に傍線]の社も、那賀《なか》郡のわなさおほそ[#「わなさおほそ」に傍線]の神社の存在を考えに入れてみると、ひぬま[#「ひぬま」に傍線]真名井式の物語があったろう。出雲にもわなさおきな[#「わなさおきな」に傍線]の社があり、あはきへ・わなさひこ[#「あはきへ・わなさひこ」に傍線]という神もあった。阿波のわなさ・おほそ[#「わなさ・おほそ」に傍線]との関係が思われる。丹波の宇奈韋《ウナヰ》神が、外宮の神であることを思えば、酒の水すなわち食料としての水の神は、処女の姿と考えられてもいたのだ。これがみつは[#「みつは」に傍線]の一面である。
七 禊ぎを助ける神女
出雲の古文献に出たみぬま[#「みぬま」に傍線]は早く忘れられた神名であった。みつは[#「みつは」に傍線]は、まず水中から出て、用い試みた水を、あぢすきたかひこの命[#「あぢすきたかひこの命」に傍線]に浴《あび》せ申した。その縁で、国造|神賀詞《かむよごと》奏上に上京の際、先例通りそのみつは[#「みつは」に傍線]が出て後、この水を用い始めるという習慣のあったことを物語るのである。風土記のすでに非常に
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