は、一つの有力な種子である。履中天皇紀は、ある旧事を混同して書いているらしい。二股船《ふたまたぶね》を池に浮べた話・宗像三女神の示現などは[#「などは」は底本では「なとは」]、出雲風土記のあぢすきたかひこの神[#「あぢすきたかひこの神」に傍線]・垂仁のほむちわけ[#「ほむちわけ」に傍線]などに通じている。だから、みつはわけ天皇[#「みつはわけ天皇」に傍線]にも、生れて後の物語が、丹比壬生部に伝っていたことが推定できる。

     六 比沼山がひぬま山[#「ひぬま山」に傍線]であること

 みぬま[#「みぬま」に傍線]・みつは[#「みつは」に傍線]は一語であるが、みつはのめ[#「みつはのめ」に傍線]の、みつは[#「みつは」に傍線]も、一つものと見てよい。「罔象女」という支那風の字面は、この丹比神に一種の妖怪性を見ていたのである。またこの女性の神名は、男性の神名おかみ[#「おかみ」に傍線]に対照して用いられている。「おかみ」は「水」を司る蛇体だから、みつはのめ[#「みつはのめ」に傍線]は、女性の蛇または、水中のある動物と考えていたことは確からしい。大和を中心とした神の考え方からは、おかみ[#「おかみ」に傍線]・みつはのめ[#「みつはのめ」に傍線]皆山谷の精霊らしく見える。が、もっと広く海川について考えてよいはずである。
 竜に対するおかみ[#「おかみ」に傍線]、罔象に当るみつはのめ[#「みつはのめ」に傍線]の呪水の神と考えられた証拠は、神武紀に「水神を厳《イツ》[#(ノ)]罔象女《ミツハノメ》となす」とあるのでもわかる。だが大体に記・紀に見えるみつはのめ[#「みつはのめ」に傍線]は、禊ぎに関係なく、女神の尿または涙に成ったとしている。逆に男神の排泄に化生したものとする説もあったかも知れぬと思われるのは、穢《けが》れから出ていることである。
 阿波の国美馬郡の「美都波迺売《みつはのめ》神社」は、注意すべき神である。大和のみつはのめ[#「みつはのめ」に傍線]と、みつは[#「みつは」に傍線]・みぬま[#「みぬま」に傍線]の一つものなることを示している。美馬の郡名は、みぬま[#「みぬま」に傍線]あるいはみつま[#「みつま」に傍線]・みるめ[#「みるめ」に傍線]と音価の動揺していたらしい地名である。地名も神の名から出たに違いない。「のめ」という接尾語が気になるが、とようかのめ[
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