らきつと、さうするでせう。ともかくさういふ伝へのあつた所が、奈良朝には、奈良朝関係の文献に三ヶ所ある。三ヶ所あるから、其中一つは正しいのだとさう簡単には行きません。どこかが真実の所で、あと二つは物語がその後から出来た。或は前からあつたものが、物語が一緒になつてしまつたといふ風に考へられゝば、学問は楽なのです。さういふ風な地名があつたのでせう。それはその地名をば歌が指定してをりますから。
「いらごの島の玉藻刈ります」と同情した歌も、「浪に濡れ、いらごの島の玉藻刈りはむ」と答へた歌も、伊勢国説を主張してゐるのです。何にしても、この地名を中心にして、三ヶ所がさういふことを言つてゐたものでせう。これは、三種類の奈良文献から起つたことでなしに、歌が元になつてゐるのです。三通りの外にまだ幾通りか、麻績王流竄の地が主張せられてゐたかも知れません。其上に麻績王ではなしに、別の王を中心として伝へたもの、さう言ふ無限の伝来が残されてゐたことが思はれます。
併し今我々はさういふことを問題にするのではなしに、貴い人が波にぬれていらご(いたこ其他)の島の玉藻を刈つて喰べてゐる。さういふ境遇に落ちてゐる。これは都
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