から遠い田舎にさすらうて来て、苦しんで生きてゐるといふことを、行きずりの同情者が歌ひ、麻績王が答へてゐる。
さういふ事柄は、他にもいろ/\沢山ございまして、平安朝に入つてもありますし、又奈良朝以前に遡つてもありました。そのうち今日問題にしたいのは、それが男の貴い人、或は女の貴い人、どつちかゞ流されて行く。或は自分自身で、流れて行つてゐる――さすらふ[#「さすらふ」に傍点]といふ風な形で、中でも一番均等に行つてゐるのは、允恭天皇の皇子の木梨軽皇子、それからその妹の軽大郎皇女、この二方が、一腹一生の兄妹なのに夫婦の契をしたといふことが、神意によつて現れて、それで皇女が伊予国に流された。これが日本紀の伝へです。古事記の方では、太子流されて伊予に行く。後からその皇女が跡を尾うて行かれた。これがいはゆる道行といふ、旅行のある理由なのですけれども。その途、或は以外でも出来ました歌の一部分が「天田振《アマタブリ》」といつて伝はつてをつて、非常にあはれな歌である。天田振ばかりではありません。その外の「歌群」の中にも、皇子・皇女の歌が入つてをります。我々はどんなに祖先を尊敬してゐるにしても、この時代の祖
前へ
次へ
全30ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング