先が、まさか此程「物のあはれ」は、知つては居なかつたらうと思はれる程、あはれな歌を作られてをります。
かう言ふ歌を謡ふ人、其を聴くことによつて、祖先達のあはれを知る心が育まれて来たことは事実でせう。古代と言へば、一も二もなく信じなくなつたが、さう軽蔑は出来ないものです。さういふ風に、日本紀と古事記では伝へが一寸違ふ。
ところが女性の側の伝へといふのも、又色々な風に沢山ある。
仁徳天皇の皇后の磐[#(ノ)]姫といふ方は大変嫉妬の激しい方で、その嫉妬の表現といふものは或は今日古事記を見ますといふと、如何にも其自身文学だと謂つた感動を受けます。嫉妬の文学的だといふことは、今では喜ばれることではありませんけれども、あれはあゝいふ文学的になつて来なければならぬ理由があつて、あんなに力強い表現をしてをつたのでせう。つまり女の怒りを鎮めるための歌といふものが発達して、其「女怒り」の代表者としての磐姫皇后が存在することになつた訣です。それはやはり万葉集にも出て来てをります。所が万葉では一部分は、既に申しました軽皇女の歌になつてをります。軽皇女の歌か、磐姫の歌か、万葉と古事記、日本紀では、どちらへもきめ
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